さっぽろ雪まつり Q&A |
■ さっぽろ雪まつりのルーツは? |
戦前に行われていた、一中(現南高)の雪戦会、中島公園で行われていた氷上カーニバル、小樽市内の小学校で盛んだった雪像展、この3行事が後の雪まつり誕生の大きなヒントとなっています。雪戦会は、明治31年に始まった伝統行事であり、紅白に分かれて騎馬戦を展開し、敵陣を攻めるものです。氷上カーニバルは、大正14年に始まった催しで、市民の仮装によるスケーティングを審査、表彰するというユニークなものでした。雪像展は、昭和10年から、小樽市立北手宮小がグラウンドで行っていた行事です。 |
|
■ さっぽろ雪まつりはいつ、どのように誕生したの? |
初めて雪まつりが開催されたのは、1950年(昭和25年)。まだ敗戦のショック色濃く、食料等の基本的な生活物資が不足している時代でした。このような世相の中で、札幌市や札幌観光協会など複数の団体が、この暗いムードを拭い去る方策を模索し、(1)市民のレクリエーション、(2)新たな観光資源の創造、(3)2月の不況対策などを目的として、雪まつりが誕生しました。第1回は、大通公園西7丁目に市内の中学、高校生による雪像6基が制作されました。
|
■ 「さっぽろ雪まつり」の名称の由来は? |
市民に親しまれる名称で簡明なものがよいとの意見が当時関係者の多数をしめ、「雪」以外は平かなの「さっぽろ雪まつり」の名称に決まりました。なお、1回目の開催は、試験的な催しであり、翌年も引き続き開催される保証がなかったため、「第1回さっぽろ雪まつり」という開催回数名は使われませんでした。
|
↑ TOPへ戻る |
■ 自衛隊が参加したのはいつからなの? |
初めて自衛隊が雪像づくりに参加したのは、第6回(昭和30年)で、4丁目に制作された高さ10mのマリア像「栄光」でした。会場としては、第14回(昭和38年)に真駒内スノーフェスティバルが開催されたのを機に第16回(昭和40年)に、真駒内会場として正式に参加しています(第57回からはサッポロさとらんどに、第60回からはスポーツ交流施設つどーむに会場が変更となりました)。
また、第23回からは、自衛隊と実行委員会で雪まつり協力に関する協定書の調印が行われ、雪輸送や大雪像の制作などの協力をお願いしています。
|
|
■ さっぽろ雪まつり史上最大の雪像は何? |
第23回(昭和47年)の真駒内アイスアリーナと屋外スケート場の中間に制作された「ガリバーようこそ札幌へ」が史上最大の雪像です。高さ25m、雪輸送トラック1300台分の最大級のこの雪像に観客は圧倒されました。この年は、第11回オリンピック冬季札幌大会が開催されたため、テレビ中継によりこの雪像が紹介されてさっぽろ雪まつりが世界の注目を集めるきっかけとなりました。 |
|