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東北三大祭り
■ 東北三大祭りとは?
■ 東北三大祭りの由来
■ 東北三大祭りの開催時期
■ 東北三大祭りの共通点
青森ねぶた祭り
■ 青森ねぶた祭りとは?
■ 青森ねぶた祭りの起源
秋田竿燈まつり
■ 秋田竿燈まつりとは?
■ 秋田竿燈まつりの起源
仙台七夕祭り
■ 仙台七夕祭りとは?
■ 仙台七夕祭りの歴史
東北三大祭り
 ■ 東北三大祭りとは?
東北地方における代表的な夏祭りを総称した言葉です。
一般的には、青森ねぶた、秋田竿燈、仙台七夕の三祭を東北三大祭りと呼びます。
東北の短い夏の夜を祭りで彩ります。
東北地方 東北 祭
 ■ 東北三大祭りの由来
日本各地に伝わる七夕行事の多くは日本古来の豊作を祈る農耕行事(お盆)と、伝説の由来になった中国の星祭りとが時季的に重なったことから習合しひとつの行事になったもので日本では古くから七夕の時季に、田の神を祀り五穀豊穣をお祈りするとともに盆に入る準備として、夏の睡魔やけがれ、悪疫などの災厄を払い、水に流す禊(みそぎ)の行事を行っていました。
暑い夏の時期は、農作業で体力を消耗し、急激な眠気に襲われがちです。
昔の人々は「眠っている隙に病魔が入り込む」と考え、この時期に睡魔を退治する行事を行ったわけです。
睡魔を水に流すことから、東北地方で「ねぶり(=眠り)流し」や「ねぶた流し」と呼ばれました。
七夕 農作
  ■ 東北三大祭の開催時期
毎年概ね8月の第1週目ごろに開催されています。
東北各県で開催される大規模な夏祭りは、なんと50以上!
他の地域に比べて夏が短い東北では、みんなが屋外に集まって祭りを楽しめる期間が限られています。
 ■ 東北三大祭りの共通点
1.戦争の前から祭りとして成立していたこと。
2.3つの祭りはすべて七夕行事に関係していること。
3.各県の県庁所在地で開催されていること。
4.花火大会を除く1日の観客数、上位三位の祭り。
戦前 東北
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青森ねぶた祭り
 ■ 青森ねぶた祭りとは?
青森県青森市で開催される夏祭りで、毎年300万人以上の観光客が訪れます。
1980年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。
青森県 青森県
 ■ 青森ねぶた祭りの起源
いまや日本を代表する火祭りとなった青森ねぶた祭。巨大な人形の灯籠が街を練り歩くのがとても有名です。
その起源にはいろいろな説がありますが、七夕行事をルーツとする説がもっとも有力とされています。
ねぶたという名称がそのまま眠たし(ねぶたし)につながること、ねぶた人形を川や海に流す習わしがあり、それが七夕の灯籠流しにつながることなどが、その説が有力とされる理由です。
そのほかにも、ねぶた祭の起源には豊臣秀吉にまつわるエピソードがあります。
秀吉が太閤様と呼ばれ、権力をほしいままにしていた頃に秀吉は七月の盂蘭盆(現在のお盆)の出し物を行うよう、諸侯たちに命じました。
当時「成り上がりの田舎者」として蔑まれていた弘前藩の初代藩主・津軽為信は、今こそ意地と誇りを見せようと地元津軽で大灯籠を作らせ、京の都を練り歩かせます。
津軽の大灯籠と称されたこの出し物には、京都の民も驚きました。
秀吉の目にもとまり、為信の出世につながる出来事となりました。
主君の出世を知った津軽の民は、祝いのために灯籠を持って津軽城下を練り歩いたのだそうです。
これがやがて年中行事として定着し、ねぶた祭の起源となったともいわれているのです。
青森ねぶた
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秋田竿燈まつり
 ■ 秋田竿燈まつりとは?
秋田県秋田市で開催されている竿燈を使った夏祭りです。
竿燈全体を稲穂に、連なる提灯を米俵に見立て、額・腰・肩などにのせ、豊作を祈ります。大若(おおわか)は提灯が46個、重さが約50kgもあるそうです。
国の重要無形民俗文化財に指定されています。
秋田県 秋田県
 ■ 秋田竿燈まつりの起源
竿燈まつりは、真夏の病魔や邪気を払う、ねぶり流し行事として宝暦年間には今の竿燈祭りの元になるものが出来ていたそうです。
現在残っている一番古い文献には寛政元年(1789)津村淙庵の紀行文、雪の降る道で、陰暦の7月6日に行われたねぶりながしが紹介されています。
このときにはすでに秋田独自の風俗として伝えられていて、長い竿を十文字に構え、それに灯火を数多く付けて太鼓を打ちながら町を練り歩き、その灯火は二丁、三丁にも及ぶ、といった竿燈の原型が記載されています。
元々、藩政以前から秋田市周辺に伝えられているねぶり流しは、笹竹や合歓木に願い事を書いた短冊を飾り町を練り歩き、最後に川に流すものでした。
それが、宝暦年間の蝋燭の普及、お盆に門前に掲げた高灯籠などが組み合わされて独自の行事に発展したものと言われています。
秋田 祭
仙台七夕祭り
■ 仙台七夕祭りとは?
宮城県仙台市で開催される夏祭りで、街全体に小から大まで合計3000本の飾り付けがなされ、街中が七夕一色になります。
毎年200万人以上の人が訪れます。
宮城県 宮城県
■ 仙台七夕祭りの歴史
江戸時代初期、仙台藩祖の伊達政宗が婦女に対する文化向上の目的で七夕を奨励したため当地で盛んな年中行事の1つになったともされますが詳しいことはまだわかっていません。
年中行事としての七夕は江戸時代中期頃から全国各地で行われています。
1783年(天明3年)には、天明の大飢饉発生による荒廃した世俗の世直しを目的に藩内で盛大に行われました。
1873年(明治6年)の新暦採用を境にして年々七夕の風習が廃れ始め、第一次世界大戦後の不景気以降はどんどん廃れていきました。
1927年(昭和2年)、この状況を心配した商店街の有志らによって大規模に七夕飾りが飾られました。すると、大勢の見物客で商店街は賑わいました。
翌1928年(昭和3年)には旧暦開催を新暦日付の月遅れ(8月6日・7日・8日)に開催することとし東北産業博覧会と関連して飾りつけコンクールも行われてから、華麗な飾りつけが発達するようになりました。
このようにして、七」という庶民の風習は七夕祭りという昼間の商店街で行われるイベントへ変わっていきました。
しかし、第二次世界大戦の戦局の悪化とともに規模は縮小されましたが戦後の1946年(昭和21年)、仙台空襲で焼け野原となった街に52本の竹飾りで仙台七夕は復活しました。
翌1947年(昭和22年)の昭和天皇巡幸の際、沿道に5000本の竹飾りを並べて大規模な飾りつけの「七夕祭り」が復活しました。
1949年(昭和24年)には七夕協賛会が作られました。
高度経済成長以降は、「東北三大祭り」の1つに数えられたことで日本各地から団体旅行客が集まる祭りへと変わっていきました。
伊達政宗 仙台 仙台
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