七夕について |
■ 七夕の歴史・由来 |
七夕は「たなばた」または「しちせき」とも読み、古くから行われている日本のお祭り行事で、一年間の重要な節句をあらわす五節句(※)のひとつにも数えられています。
毎年7月7日の夜に、願いごとを書いた色とりどりの短冊や飾りを笹の葉につるし、星にお祈りをする習慣が今も残ります。みなさんも子供のころ、たくさんの短冊をつるしておりひめとひこぼしにお願いごとをしたのではないでしょうか?
では七夕はいったいいつから、どのようにして始まったのでしょうか?
その起源には数多く説がありますが、
(1)もともと日本の神事であった「棚機(たなばた)」と
(2)おりひめとひこぼしの伝説と
(3)奈良時代に中国から伝来した「乞巧奠(きこうでん)」
という行事があわさったものと言われています。
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■ 棚機(たなばた)とは |
「棚機(たなばた)」とは古い日本の禊ぎ(みそぎ)行事で、乙女が着物を織って棚にそなえ、神さまを迎えて秋の豊作を祈ったり人々のけがれをはらうというものでした。
選ばれた乙女は「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれ、川などの清い水辺にある機屋(はたや)にこもって神さまのために心をこめて着物を織ります。そのときに使われたのが「棚機」(たなばた)という織り機です。
やがて仏教が伝わると、この行事はお盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるようになりました。現在七夕という二文字で「たなばた」と当て字で読んでいるのも、ここから来ていると言われています。 |
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■ 織姫と彦星の伝説 |
琴座のベガと呼ばれる織女(しゅくじょ)星は裁縫の仕事、鷲(わし)座のアルタイルと呼ばれる牽牛(けんぎゅう)星は農業の仕事をつかさどる星と考えられていました。この二つの星は旧暦7月7日に天の川をはさんで最も光り輝いているように見えることから、中国でこの日を一年一度のめぐりあいの日と考え、七夕ストーリーが生まれました。 |
■ 七夕のものがたり |
昔々、天の神様であられる天帝には、織姫という娘がおりました。
織姫は、とても機を織るのが上手で、毎日、機を織っていました。
「年頃になった娘に、いい相手はいないか」
と、天帝が捜しておられました。
そんな折、働き者の牛使いの彦星が、天帝のお目にとまりました。
天帝が、二人を引き合わせたところ、
「何と美しい娘だ。名を何と申す」
「織姫と申します。あなた様は?」
「私は、彦星」
二人はたちまち互いが好きになり、結婚することになりました。二人は幸せでした。
しかし、二人の仲がよすぎるがゆえ、困ったことが起こりました。あれほど機を織るのが好きであった織姫が、機には見向きもしなくなったのでした。彦星は彦星で、牛を牽いて、田畑を耕すことも、一切しなくなりました。二人のことを、陰ながら見守っていた天帝でしたが、これには、怒りを隠せなくなりました。
天帝は、二人の間に、天の川を流されて、二人を会えなくしてしまわれました。
天の川の川幅は広くて、どんなに大声で叫んでも、向こう岸に立っている人には聞こえません。ましてや、姿など見えるはずもなく。
織姫は、彦星に会えなくなった日々を紛らわそうと、また機を織ろう思いました。しかし、機の前に座りましたが、涙が出てくるばかりで、ひとつも仕事がはかどりません。彦星も、毎日物思いにふけるだけで、田畑は荒れていきました。
天帝は、そんな二人を案じて、ある日、岸にたたずんでいた二人に言われました。
「織姫よ。また一生懸命、機を織るのなら、彦星に会えるようにしてやろう。約束できるか?」
織姫は、彦星に会えるのならと、
「はい」
と、返事をしました。
「彦星よ。もう一度たゆまず田畑を耕すのなら、織姫に会えるようにしてやろう。約束できるか?」
彦星も、織姫に会えるのならと、
「はい」
と、返事をしました。
「約束したぞ。では毎年、七夕の夜には、ここに来て二人会うがよい」
そして、はじめての七夕の夜のこと、二人は天の川の岸に立ち、互いのいる向こう岸を眺めておりました。
すると、どこからともなく、かささぎが飛んできて、織姫の足元に降り立ちました。彦星の方にも、同じように別のかささぎが降り立ちました。
「天帝の命により、お二人の架け橋になりに参りました」
と、かささぎが言いました。
すると、次から次へとかささぎが飛んできて、翼を精一杯広げ、互いの翼をつなげていきました。見る見るうちに、天の川にかささぎの橋ができました。織姫と彦星は、両方からかささぎの橋を渡って行きました。
こうして二人は、一年に一度だけでしたが、七夕の夜に会うことができるようになりました。
それでも、七夕の夜が雨ですと、かささぎも、翼を広げて橋になることはできません。だから、私たちは、七夕飾りのたくさんある短冊の中に、『七夕の夜は晴れますように』と、必ずこの願いの短冊をひとつかけておくのです。 |
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■ 七夕飾りと短冊 |
奈良時代には中国の影響が強く五色の糸を星にお供えする習慣があったようですが、その後室町の頃に書道の上達を願い硯(すずり)や墨、短冊に書いた和歌などをおさめるようになました。(歴史・由来のページ)でも説明した通り、広く一般に普及したのは江戸時代になってからのことでした。そして現在は色紙で夏の風物詩をかたどったさまざまなかざりや、短冊などをかざるようになりました。
ちなみにかざりのひとつひとつに意味があるものもあります。
代表的なかざりには以下のような意味があげられます。
紙衣: 女子の裁縫の腕が上がるように
巾着: お金が貯まりますように
投網: 豊漁になりますように
屑籠: 整理、整頓、物を粗末にしないように
吹き流し: 織姫のように機織が上手になりますように
千羽鶴: 家族が長生きしますように
短冊: 願い事がかない、字が上手になりますように
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■ どうして笹に飾るのか |
その理由は定かではありませんが、笹は昔から邪気を祓う役目があると考えられていました。田んぼなどで稲の成長を遮る虫を避けるのに用いたことから、七夕に発展したという説もあるほどです。
また、大きく空に広がる笹は天に願いを届けてくれそうな気がしますし、笹の葉は「船」の形にもなることから、願いを星に運んでくれそうな気もします。そういった人々の願いからも笹を用いるようになったのではないでしょうか。 |
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■ 短冊はなぜ5色? |
「木・火・土・金・水」の五つのものの働きによって生まれたり滅んだりするという
中国の「五行説」に求めて、短冊の色を、赤・青・黄・白・黒の五色とし、
墨と同じ色の黒を紫色に代えて、
宇宙の物の形の移り変わる様子を顕すものと言われています。 |
■ 織姫と彦星の距離 |
織姫と彦星の遠距離恋愛の距離は、約140兆キロメートルといわれています。
北海道・稚内から沖縄・石垣島までで約3000kmなので、この約473億倍。
東京―ニューヨーク間が約11,000kmなので、この約129億倍です。
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■ 7月7日の夜が晴れだったのは、過去20年で4回だけ |
ただし、東京の場合です。
まだ梅雨明け前だから厳しいですね。晴れる確率は実に2割。
5回に1回しか会えないなんて寂しすぎます。
ちなみに内訳は快晴3回、晴れ1回、曇り11回、雨5回。
雨ばっかりってわけではないみたいです。 |
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