二百十日を官暦に雑節として取り入れたのは、幕府天文方の渋川春海です。
渋川が二百十日を雑節に採用するにあたっては、次のような故事が伝えられています。
釣りが好きだった渋川が、ある日海釣りをしようと船を借りて沖に出るように船頭にたのんだところ、その船頭が、「二百十日には必ず海が荒れる」といって渋川の頼みを拒んだそうです。
その日は晴れていたので船頭の言をいぶかった渋川でしたが、様子をうかがっていると次第に南方から雲が広がり始め、船頭の言ったとおり嵐となってしまいました。
このことがあって、船を操るものたちにとっては嵐がやってくる日としてこの二百十日という日がよい目安になるという有用性を知った渋川が、自分が中心となって編集を進めていた貞享暦にこの「二百十日」を雑節として追加することにしたのだそうです。
官暦への採用は確かに貞享暦からなので、実際に渋川が二百十日の嵐を体験して雑節に加えたと言う話が全くの作り話とは言えませんが、貞享暦への採用以前から伊勢暦にはこの「二百十日」が記載されていたことが知られていますので実際はこうした地方暦に記載された雑節のうちで有用と思われるものを官暦に採用したみたいです。 |