七草 |
■ 春の七草 色々 |
・1月7日は、五節句の一つ「人日じんじつの節句せっく」で、この日を「七草ななくさ
」「七草の節句」「七種の祝い」などとも言います。
。1月7日の朝に、七種類の野菜を入れた「七草粥ななくさがゆ」を食べる風習があり、単に「七草」と言うと、この「七草粥」を食べる風習を指すことが多いようです。
・七草の風習や、その種類は地域によって違いもあると言うことですが、6日の夜に厄を払うお唱えをしながら七草をたたき、7日の朝に、たたいた七草を入れたお粥を炊いて神様に供えてから家族で食べ、その年一年の無病息災と五穀豊穣を祈るものとされます。
・江戸時代に書かれた文献には [下記参照]、六日に七草を買い、六日の夜と七日の暁の二度、まな板の脇に薪・庖丁・火箸・擂り粉木・杓子・銅杓子・菜箸などの七具を添え、
歳徳神としとくじんの方を向いて囃子詞を唱えながら七草を七度、合わせて四十九回たたいたとあります。
・こうした、七草を “はやして” “叩く”
風習を表す言葉として、「七草たたき」「七草の囃子・七種の囃子」「七草を囃す・七種を囃す」などがあります。
・この文献に見られるその他の風習として、「七草爪ななくさずめ」と言って、余った薺なずなを茶碗に入れて水に浸し、これに指を浸して爪を切り、爪の斬初きりぞめ
としたとあります。この日に爪を切ると、邪気を払うことが出来て一年間風邪を引いたり病気になったりせず、また、一年中、日を選ばずに爪切りをすることが出来るとされます。
・「七草粥」を食べて邪気を祓い、一年の無病息災と五穀豊穣をを祈るとされる「七草」の風習は、もともと中国から伝わり、平安時代から宮中で行われていたものが、形を変えて庶民へと広まったともされています。
・当時は七種類の穀物で作られ、「七種粥」と言われたという説もあり、入っていたものはコメ、クリ、キビ、ヒエ、ミノ、ゴマ、アズキで、「春の七草」が使われるようになったのは鎌倉時代になってからとも言われています。
・現在の「七草粥」は、新暦の1月7日に行ったりしますが、元々旧暦の正月は今の2月頃で、そのころになると厳しい寒さの中にも春の陽射しも感じ始め、野草も芽吹き始める頃だったのでしょう。野に芽吹く若菜の力強さにあやかったり、野菜不足を補う意味もあったのでしょうか。現在の1月7日の「七草粥」は、おせち料理で疲れた胃をいたわる意味を持たせたりもしているようです。
・「人日じんじつの節句せっく」の「人日」は、「人の日」で、元日からそれぞれの日に獣畜を当てはめて占う風習が中国にあり、七日目が「人」で、その日を人を大切にする節句にしたとも言われ、中国の風習に日本の風習が合体したとも言われているようです。 |
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■ 秋の七草 色々 |
・「春の七草」は無病息災を願って「七草粥」として食べますが、「秋の七草」は観賞して楽しむ植物です。
・現在一般に言われている「秋の七草」は、万葉の歌人、山上憶良(やまのうえのおくら)
が二首の歌に詠んで以来、日本の秋を代表する草花として親しまれるようになったとされます。
・ 「秋の野に 咲きたる花を 指折 およびお
り かき数ふれば 七種 ななくさ の花」
(山上憶良 万葉集 一五三七 巻八)
意味:秋の野にとりどりに咲く花を、指を折りながら一つひとつ数えてみると、
七種類の花がありました。
・「萩の(が)花 尾花 葛花 瞿麦の(が)花 女郎花
また藤袴 朝貌の(が)花」
(山上憶良 万葉集 一五三八 巻八)
読み: はぎのはな おばな くずはな なでしこのはな
おみなえし また ふじばかま あさがおのはな
・ 一首目は、「五・七・五・七・七」の短歌で、二首目は、「五・七・七、五・七・七」の旋頭歌です。
・「朝貌の花」は、「アサガオ(朝顔)」とも「ムクゲ(木槿)」とも「キキョウ(桔梗)」とも「ヒルガオ(昼顔)」ともいわれ、諸説がありますが、一般的には「キキョウ(桔梗)」を指すとするのが有力な説で、辞典類も「キキョウ」とするものが多く見られます。 |
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■ 七草の簡単な覚え方 |
春の七草
せり・なずな、ごぎょう・はこべら、ほとけのざ、すずな・すずしろ
秋の七草
はぎ・ききょう、くず・ふじばかま、おみなえし、おばな・なでしこ
五、七、五になっているので何回か
呪文のように唱えれば覚えることができますね!
これでも、覚えきれないよ。
という方のためにとっておきの覚え方をお教えします。
秋の七草・・・「ハスキーなおふくろ」
は・・・はぎ
す・・・すすき
き・・・ききょう
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な・・・なでしこ
お・・・おみなえし
ふ・・・ふじばかま
く・・・くず
ろ |