なまはげ なまはげ情報が盛りだくさん
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なまはげとは
■ なまはげ
■ 概要

■ ルーツ
なまはげ 2
■ 現代
■ なまはげの衣装
■ なまはげ紫灯まつり
男鹿真山伝承館
■ 999の石段とナマハゲの伝説
■ ナマハゲ習俗学習講座
■  伝統を受け継ぐ真山のナマハゲ
■ なまはげ館へのアクセス・料金
OGA NAMAHAGE ROCK FESTIVAL
■ 男鹿なまはげロックフェスタ
北欧のなまはげ
■ クランプス
■ 悪い子が好まれる時代?
なまはげとは
 ■ なまはげ
なまはげは、大晦日に秋田県の男鹿市と三種町、潟上市の一部の各家々で行われる伝統的な民俗行事。本来は小正月の行事でした。

「男鹿(おが)のナマハゲ」として、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
秋田県 重要無形民俗文化財 伝統 行事 民俗行事
 ■ 概要
冬に囲炉裏(いろり)にあたっていると手足に「ナモミ」 「アマ」と呼ばれる低温火傷ができることがある。“それを剥いで”怠け者を懲らしめ、災いをはらい祝福を与えるという意味での「ナモミ剥ぎ」から「なまはげ」 「アマハゲ」 「アマメハギ」 「ナモミハギ」などと呼ばれるようになりました。一般的に、赤面がジジナマハゲ、青面がババナマハゲとされています(違う地域もあります)。

鬼の面、ケラミノ、ハバキを身に付け、大きな出刃包丁(あるいは鉈)を持ったなまはげが家々を訪れ、「悪い子はいねがー」「泣ぐコはいねがー」という荒々しい声を発しながら怠け者、子供や初嫁を探して暴れる。主人はなまはげをなだめながら丁重にもてなします。

同様の行事は同じ秋田県秋田市のやまはげ、秋田県能代市のナゴメハギ、山形県遊佐町のアマハゲなど、主に本州北部の日本海沿岸部各地に存在し、新潟県村上市や石川県能登地方にはあまめはぎが伝えられ、福井県には語源は異なるがあっぽっしゃなどの呼び名でも分布します。太平洋側でも北東北地方の岩手県大船渡市三陸町は吉浜のスネカがります。江戸時代に東北から藩主が入った愛媛県宇和島地方では、前述の低温火傷を「あまぶら」といって、あまぶらができるような怠け者が便所に入ると、「あまぶらこさぎ」という者があまぶらを取り去るといわれています。
囲炉裏 怠け者 出刃包丁 方言 東北
 ■ ルーツ
妖怪などと同様に民間伝承であるため、正確な発祥などはわかっていません。
異形の神が脅して教訓を与える祭として、鹿児島県薩摩川内市の甑島列島にトシドンという類似の行事があり、トカラ列島の悪石島にはボゼ神の祭があります。これらとなまはげを関連づける意見もあります。また、「なまはげのモデルは、漂流してきたものの、異形で異なる言葉から住民と交われず、人里離れた場所にひっそりと住み着いた外国人(白人)ではないか」というような説もあります。[要出典]「農閑期の終わりを前に、農民を管理していた当時の役人が農民達の怠惰を戒める為に鬼のような形相で各戸を訪問してきたことがルーツである」などとも言われています。
他にも秋田には、「漢の武帝が男鹿を訪れ、5匹の鬼を毎日のように使役していましたが、正月15日だけは鬼たちが解き放たれて里を荒らし回った」という伝説があり、これをなまはげの起源とする説もあります。
民間伝承 妖怪 伝説
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なまはげ 2
 ■ 現代
大晦日のほかに「なまはげ柴灯(せど)まつり」が2月にあり、これは主に観光向け行事として親しまれています。こちらは、なまはげの着ているケラから落ちた藁を頭などに巻きつけると無病息災の御利益があるといわれています。
大晦日 藁 漢字 無病息災 御利益
 ■ なまはげの衣装
出刃包丁・・・これは木製に銀紙貼りで、ナモミ・ナガメ(火型・火斑)を剥ぎ取る道具です。昔はトゲのあるタラの木を使っていました。
面・・・元来は木の皮やザルで作りましたが、今は木彫りやプラスチック製も使われます。
ケラミノ・・・蓑笠は神に扮する象徴的なもの。ケダシ(ケンデ)はケラミノの代用です。
ハバキ・・・来訪神になるためのワラ製ハバキで足も包みました。
ワラグツ・・・来訪神のスタイルとしてケラミノにぴったりする履物。
来訪神 蓑笠
 ■ なまはげ紫灯まつり
「ウォー、泣く子、いねがー」「言うごど、聞がね子いねがー、ウォー」男鹿市、若美町で毎年大みそかの夜に地域の若者たちが面をかぶり「ケデ」という藁(わら)で編んだ装飾具を着て家々を回るのが重要無形民俗文化財「男鹿のナマハゲ」だ。年の折り目(年越し)に「神」が里に下りてきて人々に祝福を与えるという趣旨の民俗行事である。男鹿半島周辺のなまはげは古しい形態を残しており、しかも多くの集落に継承という全国的にも珍しいケースです。

 この伝統的民俗行事と、真山神社の紫灯祭(一月三日開催)をドッキングさせて、観光用に作り出したイベントが「なまはげ紫灯祭り」。二月十三日から十五日まで三日間行われます。

 市観光協会が昭和三十九年、男鹿温泉郷の星辻神社で開いたのが始まりで、何回か男鹿温泉郷で開かれた後に、男鹿市北浦の真山神社に会場を移ました。男鹿市や男鹿温泉旅館組合なども加わって、冬の秋田の行事として定着しています。

 紫灯祭りを支えているのは七十世帯あまりの地元真山地区の住民。なまはげを含め“出演者”のほとんどを自分たちで努めています。出店も真山地区の女性たちの担当で、まさに「地区住民総出の祭り」。それだけに「自分たちの祭り」という思いが強くみえます。

 大みそかの時は地域の結婚前の若者がなまはげになる決まりですが、祭りの時は年代を越えて住民総出で運営にあたるため連帯感も強まります。初日は午後六時すぎ、「紫灯祭」の「湯の舞・ちん釜祭」で幕を開け、湯の舞は男鹿地区独特の神事舞。湯ぼうきで釜に沸かされた湯をたてて、湯花を参列者にかけます。これは、「四界万物を清浄にする」という意味合いがあります。そして、真山神社のみこが扇と鈴を手に幽玄に舞い、神事舞を奉納します。

 続いて、「なまはげ入魂の儀」。なまはげに扮する若者は必ず家々を回る前に“鬼神”になるため氏神に参拝するしきたりがあります。参道入り口付近でおはらいを受け、男たちは面、衣装を清めます。

 次は、神楽殿に場所を移しての「なまはげ再現」。真山地区の民家の大みそか風景を再現したもの。なまはげ行事は面、装束、持ち物、なまはげの所作、家人との問答などに地域によって違いがみられます。真山のなまはげの面は角や牙がないのが最大の特徴。形相からは鬼のイメージがわかない独特の風貌です。出刃包丁などの持ち物もありません

 「再現」では玄関戸をガタガタとゆらしながら、なまはげが家に入ってきます。「ちゃんと勉強するがー」「かあさんのいうごどきぐがー」「いうごどきがねば山さ連れでいぐどー」と子供たちにすごみ、家主が「うちの子供たちはゆうこときぐ」「さげっこやるがらごめんしてくれ」と言ってなだめ、用意していたお膳の前に座らせます。子供も酒を注いで接待します。

 なまはげが回った家で何を言わなければならないといった決まりはありません。家族のその年の無事をたたえ、家内安全、無病息災、豊作などを祈るとともに、新しい年に希望がわくような言葉を述べる事になっています。年配の人がいるときは、長寿を祝う言葉を言うし、嫁が嫁いだばかりの家では、早く家に慣れ、地域に溶け込むようにと嫁を諭します。

 また「再現」では、随所になまはげがシコを踏むような動作を繰り返します。座敷に入ってすぐに七回、お膳に座るときに五回、お膳から立つときに三回、それぞれ片足ずつ上げて「足踏み」するしきたりです。

 「再現」が終わると、「里のなまはげ」の乱入となります。なまはげが、雄叫びを揚げながら見物客を追い回します。開始から約一時間、広場中央部にともされた紫灯火が一段と勢いを増して、暗闇に炎と火の粉を舞上げる。それをバックに舞る「なまはげ踊り」は迫力満点。「神楽殿」では勇ましい「なまはげ太鼓」が披露されムードが高まっていきます。

 そして、クライマックスともいえるのが、雪の積もった拝殿上の参道からの「山のなまはげ下山」。杉木立の間からなまはげのかざしたたいまつの火が浮かび上がり、その火が山の暗闇に連なります境内に近づくにつれ、赤、青の鬼面がたいまつの火で浮かび上がり、幻想的な雰囲気を醸し出します。

 この後、その年の無病息災、開運招福の効能があるといわれる紫灯火で焼かれたもちが観光客に配られ、紫灯祭りはいわば観光用に組まれた「なまはげのショー」でもありますが伝統ある民族文化がこの行事をしっかりと支えており、地域に欠かすことのできないエネルギーを生み出しています。
温泉郷 市観光協会 奉納 開運招福
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男鹿真山伝承館
 ■ 999の石段とナマハゲの伝説
むかし漢の武帝が連れてきた五匹の鬼たちが、作物や娘たちを略奪するなど村を荒らし回り、これに困った村人たちは「一晩で五社堂まで千段の石段を積み上げる事が出来れば娘を差し出す、出来なければ村を出ていく」という約束をさせました。鬼たちがあっという間に999段積み上げ、あと一段というときに村人が機転を利かせ一番鶏の鳴き真似で夜明けを告げると、それを聞いた鬼たちは驚いて逃げ去り、以後二度と姿を現さなくなったということです。
作物 伝説 鬼
 ■ ナマハゲ習俗学習講座
なまはげ館の隣にある男鹿真山伝承館は、男鹿地方の典型的な曲家(まがりや)民家です。

ここでは、元来、民俗行事として大晦日にのみ地元の人以外には中々見ることが出来なかったナマハゲ習俗を広く観光客の方にも知ってもらうために、古い伝統としきたりを厳粛に受け継いでいる真山地区のなまはげ習俗が体感できる学習講座を行っています。
学習講座 伝統 古 観光客 習俗
 ■  伝統を受け継ぐ真山のナマハゲ
真山地区では古くから伝わっているという角のないお面をかぶり、二匹一組となって家々を練り歩きます。ナマハゲは、むやみやたらに家々に入るのではなく、ナマハゲを家に入れる主導権はその家の主人にあります。

「先立(さきだち)」という役目をする者が事前に家の主人にナマハゲを入れても良いか否かを確認します。先立の合図を確認すると、ナマハゲに扮する二人の若者はウオー!という奇声と共に乱入します。

真山のナマハゲは、その動作一つ一つに昔からのしきたりがあります。

やたらと動き回るだけではなく、まず家に上がりすぐに四股(シコ)を7回踏む。これで初めて家の中を歩き回ることができます。
「ナマケモノの匂いがする」「ナマケモノはいないか!」などと、荒荒しい奇声を上げ畳を強く踏みしめながら歩き回ります。そして、その家の主人が荒れ狂うナマハゲをなだめて丁重にもてなしナマハゲにお膳を添えます。
ナマハゲは添えられたお膳に座る前に5回シコを踏む。ウオー!ウオー!と唸っているナマハゲに主人は酒肴をすすめます。
主人とナマハゲとの間で様々な問答が交された後、ナマハゲは来年も豊作であるよう祈願し、再び立ちあがり3回シコを踏みまた歩き回ります。

家に上がってすぐ7回、お膳に着く前に5回、立ち上がる際に3回、「七・五・三」という男鹿真山のナマハゲ独自のしきたりです。ナマハゲはその家を立ち去る前に「来年もまた来るぞ!」と言い残し次の家へ向かいます。ナマハゲは、その家の子供達が病気や怪我などせず幸福になれるようシコを踏むのです。

このナマハゲの伝承は今でも地域の人々の手によって受け継がれ次の世代へ、また次の世代へと継承されています。
主導権 四股 豊作
 ■ なまはげ館へのアクセス

〒010-0686 男鹿市北浦真山字水喰沢
TEL 0185-22-5050 FAX 0185-22-5080
秋田自動車道北上J.I.Cから昭和男鹿半島I.Cまで約2時間~昭和男鹿半島I.Cから車で40分
秋田フェリーターミナルから車で50分
東京駅-(新幹線/約4時間)-秋田駅-(JR男鹿線/55分)-羽立駅-(タクシー15分)-なまはげ館

高速道路 フェリー ターミナル 東北新幹線 カーナビ パイオニア
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OGA NAMAHAGE ROCK FESTIVAL
 ■ 男鹿なまはげロックフェスタ
2007年にVOL.0として産声を上げたOGA NAMAHAGE ROCK FESTIVAL(以下ONRF)が2013年7月27日にVOL.4として野外4回目(通算8回目)の開催されました。
明るい話題が少ない昨今、男鹿の魅力を多くの人に伝えつつ、地元に元気を感じてほしいとの思いの中、音楽を通して男鹿を活性化出来ないかと考え「地元を元気に!」「元気を地元に!」「地元から元気を!」をキーワードに我々ONRF実行委員会は発足し、毎年開催されています。

2013年出演アーティスト
H&Y SMITH
細美 武士

ALTER
男鹿なまはげ太鼓推進協議会
MIGHTY CROWN
MONGOL800
RIZE
かりゆし58
SiM
TOTALFAT
DRAGON ASH
YAMAARASHI
ロック フェス 地元 元気 ギター アンプ エレキギター
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北欧のなまはげ
 ■ クランプス
出たーーー! 鬼だ、化け物だ! 食べられるーーー!! と、思わず大声を上げて逃げ回りたくなるほど恐ろしい姿。実は、北欧のお祭りの装束です。錆びた鎖と鐘を持ち子どもや女性をおびえさせながら練り歩くといいます。日本で言えば、秋田県の「なまはげ」に近い民俗行事。それにしても恐ろしすぎる、化け物と呼ぶに相応しい姿。夜一人で帰り道を歩いていたときに、これら化け物の衣装をまとった人たちに遭遇してしまったら、ギャーーーーーー! 考えただけでも震え上がってしまいそうです……。

この装束は、「クランプス」と呼ばれる伝説の生物の姿。オーストリア、ハンガリーを中心に北欧で言い伝えられている「夢魔(むま)」に似た生物なのだとか。クリスマスのシーズンに、聖ニコラウス(サンタクロースのモデルとされる人物)に同行し町に姿を現すといいます。

良い子には聖ニコラウスがプレゼントを渡すのに対して、クランプスは悪い子に罰を与えます。12月の最初の2週間、町の若者はクランプスに扮し、錆びた鎖と鐘を手に、子どもや女性をおびやかすそう。

日本のなまはげも、子どもや結婚したばかりの嫁を探して町を練り歩き、怠惰を戒めます。距離を隔てた2つの国で、似たような慣わしがあるのは興味深い。それぞれの起源については諸説あるのですが、現在も地元の人々の手によって、文化が引き継がれ続けています。
伝説 生物 北欧 雑貨 ゼクシィ ニコラウス
 ■ 悪い子が好まれる時代?
恐ろしいクランプスの存在は長年、規制の対象となっていました。カトリック教会はこのような騒々しい祝祭を禁じ、第2次世界大戦下のヨーロッパでは、ファシストたちがクランプスを社会民主主義の産物とみなして弾圧していました。

 しかし現在、「(クリスマスなど)ふん、くだらない!」というポップカルチャー的態度と、クリスマスを非伝統的なやり方で祝おうとする人々のおかげもあり、クランプスは復活を遂げています。ナショナル ジオグラフィックでも、このクリスマスの悪魔に関するドイツ語の書籍を出しているほど。

 アメリカもこの時流に乗り、クランプスをフィーチャーしたパーティなどが催されています。アニメ番組「アメリカン・ダッド」では先日、クリスマスの反クリスマス的な祝い方が盛り上がりつつあることを反映して、「ミンストレル・クランプス」(Minstrel Krampus)という回が放送されました。

 一方オーストリアでは、クランプスの厳格なキャラクターを商業化しようと、チョコレートやフィギュア、コレクターグッズの角などが売り出されています。クランプスが商業化されすぎているという批判が既に出ているほどです。

サンタクロースのちょっとしたライバルになるかもしれませんね。
社会民主主義 サンタクロース オーストリア フィギュア
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