日本の仏教・主な宗派 |
■ 天台宗 |
805年に、唐より帰ってきた伝教大師・最澄(さいちょう)が、比叡山延暦寺を開いたのが、日本の天台宗のはじまりです。法華経に基づいていますが、円、密、禅、戒の4宗を一つにして成立しました。法華経を中心に「人間は誰でも仏になれる因(仏性)を持っていて、縁にふれて努力すれば成仏することができる」と教えています。平安末期から鎌倉時代にかけて、浄土宗・浄土真宗・融通念仏宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗など現代につながる多くの宗派が誕生しました。それらの宗派の開祖である法然、親鸞、良忍、栄西、道元、日蓮は、はじめ比叡山に上がって天台宗を学びました。そこから新しい宗派を開いていきました。そういった意味では、天台宗は日本仏教の原点であり、ふるさとと言えるでしょう。 |
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■ 真言宗 |
弘法大師・空海(くうかい)が開祖です。空海は唐の長安に渡り、青龍寺で恵果阿闍梨から密教両部をうけ、ことごとく秘法を伝授されて帰国し、真言宗を開きました。嵯峨天皇に重用され、京都の東寺を賜り、また高野山を賜り金剛峰寺を創立しました。本山は高野山金剛峰寺です。本尊は宇宙の本体であり絶対の真理である大日如来です。
大日如来の真の言葉を、体、口、心で実践(三密行)すれば、即身成仏できると教えています。空海は835年、高野山で入定(入寂)するまでの間、布教活動とともに福祉活動や灌漑池や橋などの土木社会事業を行いました。弘法大師伝説は、全国5,000ヶ所以上にあると言われていて、歴史上の空海の足跡をはるかに超えています。弘法大師が杖をついたら、泉が池や井戸になったという弘法水の伝説は、全国至る所にあります。大師伝説や「弘法も筆の誤り」「弘法筆を選ばず」など大師にまつわることわざなどを通して江戸時代にはお大師さんとして人々に親しまれ、大師信仰が生まれるようになります。高野山は空海の入定の地として、大師信仰の中心地になりました。 |
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■ 浄土宗 |
1175年、法然によって開かれました。法然ははじめ比叡山に上り、次に南都(奈良)に学び諸宗の奥義を究めましたが満足できませんでした。中国の善導大師の観無量寿経疏の一文に触発されて、専修念仏を唱える浄土宗を開創して、比叡山を下りて、東山吉水に住み、念仏の教えを弘めました。当時、仏教が衰えると信じられていた末法の時代にはひたすら阿弥陀仏の御名を称えることによって、極楽浄土に往生できるという教えを説きました。専ら阿弥陀仏に救いを求め易しい道を選ぶ他力易行としての念仏は、愚人、悪人こそ救われると説きました。当時、現世で悲惨な境遇にあり来世でも救いが無いと思われていた民衆に大いなる希望を与えました。法然のまわりには貴族から遊女まで、さまざまな人々が集まりました。既成の宗派から伝統的な仏教を否定するものとして批判の声があがり、法然は四国讃岐に流罪に処せられますが、その地でも布教を続けました。浄土宗の本尊は阿弥陀如来で、本山は知恩院です。 |
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■ 浄土真宗 |
浄土真宗の宗祖は親鸞(1173〜1262)です。親鸞は初め比叡山で修行に励みましたが、29歳の時、聖徳太子が夢に出てきてお告げがあり、法然の下に参じたといわれています。やがて法然の高弟の一人となり、法然が四国流罪とされたときには越後流罪になりました。その後、関東で教えを弘め、晩年には家族とともに京都に戻りました。親鸞は、法然の提唱した浄土門の念仏の教えこそ真実の教え(=浄土真宗)であると考えました。念仏を唱えれば誰でも極楽往生できると教え、妻帯も仏道を妨げないとしました。90歳の高齢で亡くなると、大谷の地にご遺骨を安置する大谷廟堂(本願寺)が建てられました。親鸞の死後、教団は次第に衰微しますが、八世蓮如の時代に教団は再興を果たし、おおいに発展します。
【浄土真宗本願寺派】
浄土真宗は徳川家康の政策により、西本願寺(浄土真宗本願寺派)と東本願寺(真宗大谷派)にわかれます。浄土真宗本願寺派は、阿弥陀如来の本願を信じ、ひたすら念仏を唱えることによって、弥陀の廻向を受けて、浄土往生すると教えます。純粋他力の教えです。
【真宗大谷派】
12代教如が徳川家康によって、寺領を与えられ東本願寺を築いたのが真宗大谷派の起こりです。真宗大谷派は、弥陀の積善が廻向されて、それに乗って衆生が浄土に往生できるとする、絶対他力の教えです。念仏をもっぱらにして阿弥陀如来の本願を信じることにつとめます。 |
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