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灌仏会
■ 灌仏会とは?
■ 花御堂
■ 花祭りとよばれる理由
■ 甘茶とは
釈迦
■ 釈迦とは?
■ お釈迦様と阿弥陀仏
■ 釈迦と弥陀の関係
■ 親鸞聖人は釈迦と弥陀の関係
日本の仏教・主な宗派
■ 天台宗
■ 真言宗
■ 浄土宗

■ 浄土真宗
灌仏会
 ■ 灌仏会とは?
灌仏会とは、4月8日の釈迦(ゴータマ・シッダッタ)の誕生を祝う仏教行事のことをいいます。釈迦誕生のときの姿である、右手で天、左手で地を指して「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と唱える誕生仏の像を、花で飾った小さなお堂の"花御堂"と呼ばれる場所に置き、この像に甘茶をひしゃくですくってかけます。
信者の子どもたちが集まり、甘茶の接待のほか、献花や舞踊、合唱や稚児行列などの様々な行事も行われています。なかなか聞くことのない行事かもしれませんが、一般には、"花まつり"と呼ばれ、仏教系の幼稚園などの年中行事になっています。また、俳句の季語としても広く親しまれています。
別名、降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)、花会式(はなえしき)、花祭(はなまつり)といろいろな呼ばれ方があります。
仏教行事 花御堂 ひしゃく 舞踊 日本
 ■ 花御堂
"花御堂"は釈迦誕生の地であるインドのルンビニーの花園になぞられたものです。
釈迦が生まれてすぐ東西南北の四方にそれぞれ7歩歩み、右手で天を左手で地を指して、「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と唱えた姿を表したのが"誕生仏"です。天上天下唯我独尊とは「人間ひとりひとりが一つしかない命をいただいている尊い存在である」という意味です。釈迦の誕生時に九頭の龍が天から清浄の水を注いで産湯を使わせたという故事や、同様に甘露の雨を降り注いだという故事から、ひしゃくで甘茶をすくい、誕生仏の頭上から注いでお参りします。
産湯 故事 インド 旅
 ■ 花祭りとよばれる理由
花祭りは、花御堂を造って誕生仏を祭ることから付いた名で、聖徳太子の時代からそう呼ばれたと言いますが、一般化したのは大正時代以後だと言われます。きっかけになったのは大正5年から仏教関係者連合が日比谷公園で花祭りを実施し、年中行事としたことによると言われています(それ以前にも仏教青年伝道会等が「花祭り」を実施していました)。仏の誕生を祝う行事であるためか、子供を中心とした行事が多く、その意味で「灌仏会」なんて言ういかめしい名前より、「花祭り」という柔らかな名称が好まれたとも考えられます。
花祭り 聖徳太子 年中行事
 ■ 甘茶とは
灌仏会は奈良時代に行われたのが最初といわれています。当時は香水(こうずい)と呼ばれる水をかけていましたが、江戸時代には甘茶をかける習慣が広まりました。甘茶は、ユキノシタ科に属するガクアジサイの仲間のアマチャの葉を乾燥・発酵させたもので、これを煎じたお茶を使います。俳人、小林一茶も好んていたそうです。灌仏会の日に、寺院でもらった甘茶を飲むと病気をしない、目につけると目が良くなるなどといわれています。また、甘茶で墨をすり、「千早振る卯月八日は吉日よ、神下げ虫を成敗ぞする」と書き、門口や柱の逆さまに貼って害虫よけのおまじないにするという風習もあります。
甘茶 花 図鑑 花 種類 ガーデニング 花
花 種類 ガーデニング 花
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釈迦
 ■ 釈迦とは?
釈迦(ゴータマ・シッダールタ)は仏教の開祖です。釈迦とは、サンスクリット(梵)語のシャーキムニの音訳で、釈迦牟尼(釈迦族の聖者)の略です。"仏陀"、または"釈尊"ともいいます。紀元前463年頃、釈迦族の王シュッドーダナ(浄飯王)とその妃マーヤー(摩耶夫人)の間に王子としてカピラ城(カピラヴァストゥ)近くのルンビニー園に生まれ、前383年に死去したとされています。16歳で結婚して妃ヤショーダラーとの間に一子ラーフラをもうけましたが、人生の苦に直面して29歳で一切を捨て出家しました。釈迦は断食を含む苦行の生活をへて苦行の無意義なることを知り、村娘スジャータの捧げる乳粥で体力を回復した後ブダガヤのアシュヴァッタ樹(インド菩提樹)の元で瞑想に耽り、35歳でついに悟りを開きました。鹿野苑で最初の説法を行ったあと、インド各地を遍歴して多数の苦しむ老若男女に法を説き、弟子をつくり民衆を教化しました。マガダ国の竹林精舎とコーサラ国の祇園精舎は原始仏教教団の二大拠点です。
80歳のときクシナガラ郊外で2本の沙羅双樹の間に横たわって入滅(ニルヴァーナ)しました。遺骸は火葬され、信者に遺骨(仏舎利)が分けられ、塔(ストゥーパ)に納められ、手厚く葬られました。彼の死後、弟子達によって彼の残した言葉が編纂され、今に伝わっています。
お釈迦さま お釈迦様
 ■ お釈迦様と阿弥陀仏
お釈迦様と阿弥陀仏を、全く同じ仏とは思ってはいないでしょうか?呼び方が違うだけではなく、お釈迦さま(釈迦牟尼仏)と阿弥陀仏とは、全く違う仏さまです。その違いを知らないと、仏教は全く分かりません。
お釈迦様は、地球上でただお一人、仏の悟りを開かれたお方です。「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」といわれます。
そのお釈迦様が、「私の尊い先生を紹介しに来たのだよ」と私たちに教えてくださったのが阿弥陀仏(弥陀)といわれる仏さまなのです。
阿弥陀仏 悟り
 ■ 釈迦と弥陀の関係
『御文章(御文)』2帖目8通に、「ここに弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師・本仏なれば」とあるように、阿弥陀仏は、十方諸仏の本師本仏と教えられています。
「十方」とは、仏教で大宇宙のことをいい、この大宇宙には、地球のようなものが無数に存在します。地球は大宇宙の中の塵にすぎません。ですから、地球に釈迦が現れたように、大宇宙には数え切れないほどの仏が現れていると、お釈迦さまは説かれています。それらの仏を、「十方諸仏」といわれます。例えば、大日如来や薬師如来、奈良の大仏・ビルシャナ如来など皆、十方諸仏の中の一仏です。次に「本師本仏」とは、師匠、先生という意味ですから、阿弥陀仏は、あらゆる仏の先生である、ということです。では、お釈迦さまとの関係は、どうなるでしょうか。地球では、釈迦以上に偉い方はありませんが、大宇宙からいえば、釈迦も十方諸仏の一人ですから、弥陀と釈迦の関係は、師匠と弟子、先生と生徒に当たります。弟子の務めは、先生の御心を正確に、一人でも多くの人にお伝えすること以外にありません。だから弟子のお釈迦さまは、先生である阿弥陀仏の御心一つを、生涯教えていかれました。それが仏教です。
弥陀如来 薬師如来 大宇宙
大宇宙
 ■ 親鸞聖人は釈迦と弥陀の関係
「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」
「如来、世に興出したまう所以は、唯、弥陀の本願海を説かんがためなり」(正信偈)
「如来、世に興出したまう所以は」とは、釈迦が、この地球上に現れて、仏教を説かれた目的は、ということです。「唯説」とは、ただ一つのことを説かれるためであった、ということです。それは「弥陀の本願」、阿弥陀仏の本当に願っていられる御心ただ一つです。仏教と聞くといろいろなことを教えられたように思いますが、釈迦45年の教えは、弥陀の本願以外なかったのだ、との断言です。釈迦と弥陀の関係を知れば、親鸞聖人のお言葉も、深くうなずけるでしょう。
親鸞聖人 弥陀
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日本の仏教・主な宗派
 ■ 天台宗
805年に、唐より帰ってきた伝教大師・最澄(さいちょう)が、比叡山延暦寺を開いたのが、日本の天台宗のはじまりです。法華経に基づいていますが、円、密、禅、戒の4宗を一つにして成立しました。法華経を中心に「人間は誰でも仏になれる因(仏性)を持っていて、縁にふれて努力すれば成仏することができる」と教えています。平安末期から鎌倉時代にかけて、浄土宗・浄土真宗・融通念仏宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗など現代につながる多くの宗派が誕生しました。それらの宗派の開祖である法然、親鸞、良忍、栄西、道元、日蓮は、はじめ比叡山に上がって天台宗を学びました。そこから新しい宗派を開いていきました。そういった意味では、天台宗は日本仏教の原点であり、ふるさとと言えるでしょう。
天台宗 最澄 比叡山延暦寺 法華経
 ■ 真言宗
弘法大師・空海(くうかい)が開祖です。空海は唐の長安に渡り、青龍寺で恵果阿闍梨から密教両部をうけ、ことごとく秘法を伝授されて帰国し、真言宗を開きました。嵯峨天皇に重用され、京都の東寺を賜り、また高野山を賜り金剛峰寺を創立しました。本山は高野山金剛峰寺です。本尊は宇宙の本体であり絶対の真理である大日如来です。
大日如来の真の言葉を、体、口、心で実践(三密行)すれば、即身成仏できると教えています。空海は835年、高野山で入定(入寂)するまでの間、布教活動とともに福祉活動や灌漑池や橋などの土木社会事業を行いました。弘法大師伝説は、全国5,000ヶ所以上にあると言われていて、歴史上の空海の足跡をはるかに超えています。弘法大師が杖をついたら、泉が池や井戸になったという弘法水の伝説は、全国至る所にあります。大師伝説や「弘法も筆の誤り」「弘法筆を選ばず」など大師にまつわることわざなどを通して江戸時代にはお大師さんとして人々に親しまれ、大師信仰が生まれるようになります。高野山は空海の入定の地として、大師信仰の中心地になりました。
真言宗 高野山 弘法大師 空海
 ■ 浄土宗
1175年、法然によって開かれました。法然ははじめ比叡山に上り、次に南都(奈良)に学び諸宗の奥義を究めましたが満足できませんでした。中国の善導大師の観無量寿経疏の一文に触発されて、専修念仏を唱える浄土宗を開創して、比叡山を下りて、東山吉水に住み、念仏の教えを弘めました。当時、仏教が衰えると信じられていた末法の時代にはひたすら阿弥陀仏の御名を称えることによって、極楽浄土に往生できるという教えを説きました。専ら阿弥陀仏に救いを求め易しい道を選ぶ他力易行としての念仏は、愚人、悪人こそ救われると説きました。当時、現世で悲惨な境遇にあり来世でも救いが無いと思われていた民衆に大いなる希望を与えました。法然のまわりには貴族から遊女まで、さまざまな人々が集まりました。既成の宗派から伝統的な仏教を否定するものとして批判の声があがり、法然は四国讃岐に流罪に処せられますが、その地でも布教を続けました。浄土宗の本尊は阿弥陀如来で、本山は知恩院です。
浄土宗 極楽浄土 知恩院
 ■ 浄土真宗
浄土真宗の宗祖は親鸞(1173〜1262)です。親鸞は初め比叡山で修行に励みましたが、29歳の時、聖徳太子が夢に出てきてお告げがあり、法然の下に参じたといわれています。やがて法然の高弟の一人となり、法然が四国流罪とされたときには越後流罪になりました。その後、関東で教えを弘め、晩年には家族とともに京都に戻りました。親鸞は、法然の提唱した浄土門の念仏の教えこそ真実の教え(=浄土真宗)であると考えました。念仏を唱えれば誰でも極楽往生できると教え、妻帯も仏道を妨げないとしました。90歳の高齢で亡くなると、大谷の地にご遺骨を安置する大谷廟堂(本願寺)が建てられました。親鸞の死後、教団は次第に衰微しますが、八世蓮如の時代に教団は再興を果たし、おおいに発展します。

【浄土真宗本願寺派】
浄土真宗は徳川家康の政策により、西本願寺(浄土真宗本願寺派)と東本願寺(真宗大谷派)にわかれます。浄土真宗本願寺派は、阿弥陀如来の本願を信じ、ひたすら念仏を唱えることによって、弥陀の廻向を受けて、浄土往生すると教えます。純粋他力の教えです。
【真宗大谷派】
12代教如が徳川家康によって、寺領を与えられ東本願寺を築いたのが真宗大谷派の起こりです。真宗大谷派は、弥陀の積善が廻向されて、それに乗って衆生が浄土に往生できるとする、絶対他力の教えです。念仏をもっぱらにして阿弥陀如来の本願を信じることにつとめます。
浄土真宗 東本願寺 親鸞 八世蓮如
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