初午 初午の情報が盛りだくさん
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初午とは
■ 初午とは
■ 初午祭
■ 初午祭(鈴かけ馬踊り)
■ 鹿児島神宮
■ 火伏せの虎舞
■ 田沼初午祭
稲荷神社
■ 稲荷神社とは
■ 増え続ける稲荷神社
■ 日本三大稲荷
■ 稲荷神社と狐
■ お稲荷さんと狐と油揚げ
■ 稲荷とダキニ天
初午とは
 ■ 初午とは
初午は2月の最初の午の日のことをいい、また、その日を祭日として行われる神事のことを言います。
代表的なもとして、稲荷の縁日で京都伏見の稲荷神社の祭礼や、愛知県の豊川稲荷や各地の稲荷神社や祠で初午祭が行われます。
稲荷の他に観音詣でを行うところで、道陸神(どうろくじん)の祭りを行うところがあります。

この日は全国各地の稲荷神社で初午祭りが行われます。また、地方によっては二の午、三の午と続ける地方もあるそうです。
初午の日に京都の伏見稲荷の祭神「御食津神」が降臨された故事から、この日が稲荷祭りになりました。
伏見稲荷の縁起によると、初午の日を稲荷の縁日と定めたのは、祭神が伊奈利山の三箇峰に降りたのが和嗣四年711年(和嗣4年)2月の初午の日であったからと伝えられています。
稲荷の名は「稲生り」から来たという説もあり、農耕の神、食物の神とされ、祭神は宇迦之御魂の神で、五穀をつかさどる農業神でした。
農村では、初午の儀礼は春の耕作の初めに田の神様を山から里にお迎えするという意味もありました。
昔の人は、稲の実ったころにキツネが山から降りてきて子ギツネを育てる姿を見て、先駆けを意味する「ミサキ」、「オサキ」と言ってあがめるようになりました。
このことから稲荷神社の神の使いがキツネとなり、キツネを田の神の使いとみなすようになりました。
それが真言密教や道教の呪術と結びつき、やがてキツネによる神のお告げの信仰が盛んになっていきました。それから、全国に、村や町の神社としてだけでなく、商工業者の守り神や同族神、個人の屋敷神として祠がたくさん祭られるようになっていったのです。
祠ばかりでなく、全国には「狐塚」と言われる塚もたくさんあります。
江戸時代には田沿意次が邸内に稲荷を祭って出世したところから、町民に稲荷が開運の神として非常に盛んに信仰されるようになり、町々の小網や屋敷神には、圧倒的に多く稲荷が祭られていました。
稲荷社は数千にも及んだといわれ、「伊勢屋、稲荷と犬の糞」などと言たりしたそうです。しかしそれほど多かった稲荷社も、関東大震災や空襲でほとんど消失してしまいました。
1月の下旬から絵馬屋が「向かい狐」などの図柄の絵馬をかついで江戸の町を売り歩き、人々はみな絵馬を持って初午の日には稲荷詣をし、絵馬を奉納したそうです。
その日は奉行所さえも門を開放し、そこに祭る稲荷の両に一般人が参詣するのを許したと言われています。
また初午は、江戸時代では、子供が寺小屋へ入門する日でもあったそうです。
京都では稲荷山の社に美しく着飾った人々がたくさん詣でたり、大坂では大坂城の馬場に人々が集まって凧揚げが行われ、皆でお弁当を食べて遊ぶのが初午稲荷祭りの光景だったようです。
現在、初午の日には、「正一位稲荷大明神」と書いた赤い旗を立て、赤飯や油揚げ、団子などを供えて祭ります。油揚げを供えるのは、キツネが稲荷神の使いであると信じられているからだそうです。
初午 稲荷 伏見稲荷大社 稲荷 神社
 ■ 初午祭
二月の最初の午の日に行われる祭事。全国の稲荷神社で行われることが多い。特徴的なお祭りとしては、馬が足踏みをして踊りを踊っているように見えることで有名な、鹿児島県霧島市の鹿児島神宮の初午祭がある。
鹿児島 祭 鹿児島 霧島市
 ■初午祭(鈴かけ馬踊り)
初午祭の由来は、室町時代にさかのぼります。当時の領主であった島津が、鹿児島神宮の改築工事を監督していたとき、宮内で就寝していた時に見た夢がきっかけになったとされています。枕元に観音様が現れて「自分は馬頭観音である。長い間ここに居るんだが誰も顧みてくれるものがない。お堂を建てて私を祭ってくれないか、そうしたらこの国の守護神になり、末永く守ってやる。」といってスーッと消えてしまいました。
島津貴久の枕元へ馬頭観音が現れ、この地では誰からも顧みられる存在でないことを嘆き、堂を建て祭りあげることが叶えられるのであれば、馬頭観音がこの国を守護すると約束をしたそうです。
朝になり島津貴久が夢のことを神宮へ話してみると、神官もまた同じ夢を見た言ったそうです。
更には、近所であった日秀上人という高僧が碁を打ちにやってきた時に夢の話をしてみると、日秀上人までも同じ夢を見たと話していました。
3人の意見が一致したことで、獅子尾丘へ正福院観音堂を建て、碁盤を母材とした観音像が祭られるようになりました。
夢を見たのが旧暦一月十八日であった事により、その日が縁日として定められたようです。その後、数多くの鈴かけ馬がお参りへ引き連れられるようになりました。
馬頭観音 観音様 守護神 室町時代
 ■ 鹿児島神宮
鹿児島県霧島市の鹿児島神宮で、旧暦1月18日を過ぎた最初の日曜日の3月3日(日)に初午祭が開催されます。
牛馬の安全や五穀豊穣などを願って開催され、約460年の歴史を誇る伝統行事で南九州に春を告げるお祭りです。
旧暦正月18日を過ぎた最初の日曜日に行われ、全国でも珍しい鈴かけ馬と呼ばれる馬に鈴の連なった胸飾り、
花や錦などで飾った鞍を付け、踊り連を引き連れて鐘、太鼓、三味線など音楽に合わせて足踏みをして踊ります。毎年多くの人出があり、鹿児島を代表する祭りの一つです。

〈開催日〉
平成25年3月3日(日)午前9時30分〜午後4時

〈入場料〉
無料

〈アクセス〉
九州自動車道溝辺鹿児島空港ICから車で約25分
JR日豊本線隼人駅から車で約5分

〈お問い合わせ先〉
初午祭実行委員会 (霧島市観光課内)
鹿児島県霧島市国分中央3丁目45-1
電話番号 0995(45)5111

詳しくは霧島市総合観光案内をご覧くださいませ。
伝統行事 和太鼓 三味線
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 ■ 火伏せの虎舞
約650年前、旧中新田地区は、早春から初夏にかけて奥羽山脈から吹き付ける強風の為、大火に見舞われることが度々ありました。
この地区に室町時代から伝わる火伏せの舞いは「雲は龍に従い、風は虎に従う」の中国の故事に習い、虎の威を借りて風を鎮めようと稲荷明神の初午まつりに虎舞を奉納、火伏せを祈願したのが起源とされています。
お囃子にのって、町内を色鮮やかな山車と虎が練り歩き、各家の防災と家内安全を祈願します。
色あざやかな山車とともに町内を練り歩く虎の姿、ときに高屋根に登り腹いっぱいに風をはらんで立つ虎の姿は勇壮そのものです。

〈開催日〉
平成26年4月29日(火・祝) 毎年同日 ※雨天決行
7:00〜18:00

〈アクセス〉
東北自動車道・古川ICまたは大和ICより車で20分
JR仙台駅西口バスプールよりミヤコーバス・加美特急中新田行き70分
JR東北新幹線・古川駅よりミヤコーバス・色麻役場前行き約30分、中新田西町下車

〈開催地〉
加美町中新田花楽小路

詳しくは宮城県加美町をご覧くださいませ。
奥羽山脈 虎舞 防災・耐震グッズ 家内安全
 ■ 田沼初午祭
田沼初午祭は、関東五社稲荷のひとつとして知られる同神社で、江戸時代から300年以上続いているとされる伝統行事です。
商売繁盛、五穀豊穣に御利益があるといわれており、毎年3月上旬、周辺の道路を歩行者天国にして盛大に開催されます。

〈開催日〉
例年3月上旬

〈会場〉
一瓶塚稲荷神社周辺

〈お問い合わせ〉
佐野市あそ商工会 電話0283-62-3655

詳しくは佐野市ホームページをご覧くださいませ。
商売繁盛 佐野市 江戸時代 五穀豊穣
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稲荷神社
 ■ 稲荷神社とは
稲荷神を祀る神社を稲荷神社と呼びます。京都市伏見区にある伏見稲荷大社が日本各所にある神道上の稲荷神社の総本社となっています。
朱い鳥居と、神使の白い狐がシンボルとなっている神社として広く知られています。
稲荷神(稲荷大神、稲荷大明神)は、山城国稲荷山(伊奈利山)、すなわち現在の伏見稲荷大社に鎮座する神で、伏見稲荷大社から勧請されて全国の稲荷神社などで祀られる食物神・農業神・殖産興業神・商業神・屋敷神です。
また、神仏習合思想においては仏教における荼枳尼天と同一視され、豊川稲荷を代表とする仏教寺院でも祀られています。総本宮である伏見稲荷大社では宇迦之御魂大神を主祭神として、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神とともに五柱の神として祀りますが、これら五柱の祭神は稲荷大神の広大な神徳の神名化としています。
日本の神社の内で稲荷神社は、2970社(主祭神として)、3万2千社(境内社・合祀など全ての分祀社)を数え、
屋敷神として個人や企業などに祀られているものや、山野や路地の小祠まで入れると稲荷神を祀る社はさらに膨大な数にのぼります。
江戸の町の至る所で見かけられるものとして「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」とまで言わるようになったそうです。本来は穀物・農業の神だが、現在は産業全般の神として信仰されています。
稲荷神社は日本全国にあるが、その中でも東日本に多く信仰されています。
 ■ 増え続ける稲荷神社
稲荷神社を支えている要素の一つは民俗信仰です。どんな方でも伏見の山を進行するものはいくらかのお金を納めたうえで自分が名前を付けた神様を伏見の山に祭ることができます。
何百もの朱い鳥居を列を通って伏見の山の一の峯までいくと、そのようなたくさんの神様を祭る社が押し合いへし合い並んでいます。
そして、その場に立つと、そこが間違いなく聖地であることを体感するのだそうです。稲荷は現在でも作物が増殖するかのように増え続けている神です。
民俗信仰
 ■ 日本三大稲荷
日本国内で「三大稲荷」と言われる稲荷が幾つかあります。
色々な説があるのですが、やはり有力な説は伏見稲荷は必ず入れるとして、あとの2つを、茨城県の笠間稲荷、大阪の瓢箪山稲荷、山口県の太鼓谷稲成、佐賀県の祐徳稲荷の中から選ぶ方が多いようです。

その他の有力な稲荷神社
志和稲荷
高橋稲荷
竹駒稲荷
玉造稲荷
福島稲荷
箭弓稲荷
など・・・
 ■ 稲荷神社と狐
お稲荷さんのお使いは狐ということになっています。中には、お稲荷さん自体が狐の神様であると思われている方もいらっしゃいます。
この関連には下記のような説があります。

・稲荷の神と同体と考えられる御饌津(みけつ)神が誤って三狐神と書かれ、そこから狐が登場しました。("けつ"とは狐の古語のことをいいます。今でも狐を"けつね"と呼ぶ地方もあります)
・穀物を食べる野ネズミを狐が食べてくれるので、狐を穀物の守り神として考えそこから結びつきました。
・伏見の血には秦氏が入ってくる以前に狩猟の民が山の神を信仰しており、その象徴が当時狼であったが、いつか狐に変化して後からやってきた農耕の民たちの神と習合しました。
狐 物語 穀物 狩猟 山の神
 ■ お稲荷さんと狐と油揚げ
お稲荷さん・・狐・・と続くとやはり思い浮かぶのは「油揚げ」ですね。
油揚げで包んだお寿司を「稲荷寿司」、油揚げの入ったうどんを「きつねうどん」といいます。この件について今泉忠明氏は次のように推察しています。
農耕上有益な動物であったことと、その頭の良さそうな行動が中国からの影響もあり、キツネ信仰が発生していた。
人々はキツネに感謝して農作物などをキツネの穴の所に供えたりするが、肉食のキツネにとって、これは有難迷惑以外の何物でもない。
そうこうする内、何かの拍子に油揚げを供えてみたらキツネにとっては野菜などからすると随分マシな食べ物なので、これには口を付けた。
そこで人々はキツネは油揚げが好きなのだと思うようになった。
おいなり きつねうどん 油揚げ 寿司 飯台
 ■ 稲荷とダキニ天
稲荷の中には豊川稲荷(曹洞宗)や最上稲荷(法華宗)のようにダキニ天を祀る仏教系の稲荷もあります。
ダキニは胎蔵マンダラにも描かれていますがカーリー女神の侍女で、人間の肝を食う夜叉でした。
しかし肝を食われては食われた人間が死んでしまうではないかとお釈迦様に叱られ、お釈迦様からもう命運の尽きた人を見分ける力を与えられて、そういう人の肝だけを食うようになったと言われます。
ここからダキニ天の外法が派生しており、この外法では自分の肝をダキニ天に捧げる密約をすると、
ダキニ天がその人の願いを何でも叶えてくれると言われ、徳川家康はその外法によって天下を取ったという俗説があります。
一方では財福を招く次のような観念法もあります。ダキニ天の種字「カン」を念じ、その字が心臓となり、ダキニ天に変化し、更に文殊菩薩に変化して再びダキニ天に戻る様子を観想するのです。これがうまく行けば、ダキニ天はいつもその人に財産や福徳をもたらしてくれるとされます。
このダキニ天は平安時代末期〜室町時代頃から狐の精と考えられるようになり、そこから稲荷と結び付いたようです。剣と宝珠を持ち白狐にまたがった姿で、三面二臂の像や、天女の姿の像などが作られています。
曹洞宗 観念法 徳川家康 文殊菩薩
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