稲荷神社 |
■ 稲荷神社とは |
稲荷神を祀る神社を稲荷神社と呼びます。京都市伏見区にある伏見稲荷大社が日本各所にある神道上の稲荷神社の総本社となっています。
朱い鳥居と、神使の白い狐がシンボルとなっている神社として広く知られています。
稲荷神(稲荷大神、稲荷大明神)は、山城国稲荷山(伊奈利山)、すなわち現在の伏見稲荷大社に鎮座する神で、伏見稲荷大社から勧請されて全国の稲荷神社などで祀られる食物神・農業神・殖産興業神・商業神・屋敷神です。
また、神仏習合思想においては仏教における荼枳尼天と同一視され、豊川稲荷を代表とする仏教寺院でも祀られています。総本宮である伏見稲荷大社では宇迦之御魂大神を主祭神として、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神とともに五柱の神として祀りますが、これら五柱の祭神は稲荷大神の広大な神徳の神名化としています。
日本の神社の内で稲荷神社は、2970社(主祭神として)、3万2千社(境内社・合祀など全ての分祀社)を数え、
屋敷神として個人や企業などに祀られているものや、山野や路地の小祠まで入れると稲荷神を祀る社はさらに膨大な数にのぼります。
江戸の町の至る所で見かけられるものとして「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」とまで言わるようになったそうです。本来は穀物・農業の神だが、現在は産業全般の神として信仰されています。
稲荷神社は日本全国にあるが、その中でも東日本に多く信仰されています。 |
■ 増え続ける稲荷神社 |
稲荷神社を支えている要素の一つは民俗信仰です。どんな方でも伏見の山を進行するものはいくらかのお金を納めたうえで自分が名前を付けた神様を伏見の山に祭ることができます。
何百もの朱い鳥居を列を通って伏見の山の一の峯までいくと、そのようなたくさんの神様を祭る社が押し合いへし合い並んでいます。
そして、その場に立つと、そこが間違いなく聖地であることを体感するのだそうです。稲荷は現在でも作物が増殖するかのように増え続けている神です。 |
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■ 日本三大稲荷 |
日本国内で「三大稲荷」と言われる稲荷が幾つかあります。
色々な説があるのですが、やはり有力な説は伏見稲荷は必ず入れるとして、あとの2つを、茨城県の笠間稲荷、大阪の瓢箪山稲荷、山口県の太鼓谷稲成、佐賀県の祐徳稲荷の中から選ぶ方が多いようです。
その他の有力な稲荷神社
志和稲荷
高橋稲荷
竹駒稲荷
玉造稲荷
福島稲荷
箭弓稲荷
など・・・ |
■ 稲荷神社と狐 |
お稲荷さんのお使いは狐ということになっています。中には、お稲荷さん自体が狐の神様であると思われている方もいらっしゃいます。
この関連には下記のような説があります。
・稲荷の神と同体と考えられる御饌津(みけつ)神が誤って三狐神と書かれ、そこから狐が登場しました。("けつ"とは狐の古語のことをいいます。今でも狐を"けつね"と呼ぶ地方もあります)
・穀物を食べる野ネズミを狐が食べてくれるので、狐を穀物の守り神として考えそこから結びつきました。
・伏見の血には秦氏が入ってくる以前に狩猟の民が山の神を信仰しており、その象徴が当時狼であったが、いつか狐に変化して後からやってきた農耕の民たちの神と習合しました。 |
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■ お稲荷さんと狐と油揚げ |
お稲荷さん・・狐・・と続くとやはり思い浮かぶのは「油揚げ」ですね。
油揚げで包んだお寿司を「稲荷寿司」、油揚げの入ったうどんを「きつねうどん」といいます。この件について今泉忠明氏は次のように推察しています。
農耕上有益な動物であったことと、その頭の良さそうな行動が中国からの影響もあり、キツネ信仰が発生していた。
人々はキツネに感謝して農作物などをキツネの穴の所に供えたりするが、肉食のキツネにとって、これは有難迷惑以外の何物でもない。
そうこうする内、何かの拍子に油揚げを供えてみたらキツネにとっては野菜などからすると随分マシな食べ物なので、これには口を付けた。
そこで人々はキツネは油揚げが好きなのだと思うようになった。
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■ 稲荷とダキニ天 |
稲荷の中には豊川稲荷(曹洞宗)や最上稲荷(法華宗)のようにダキニ天を祀る仏教系の稲荷もあります。
ダキニは胎蔵マンダラにも描かれていますがカーリー女神の侍女で、人間の肝を食う夜叉でした。
しかし肝を食われては食われた人間が死んでしまうではないかとお釈迦様に叱られ、お釈迦様からもう命運の尽きた人を見分ける力を与えられて、そういう人の肝だけを食うようになったと言われます。
ここからダキニ天の外法が派生しており、この外法では自分の肝をダキニ天に捧げる密約をすると、
ダキニ天がその人の願いを何でも叶えてくれると言われ、徳川家康はその外法によって天下を取ったという俗説があります。
一方では財福を招く次のような観念法もあります。ダキニ天の種字「カン」を念じ、その字が心臓となり、ダキニ天に変化し、更に文殊菩薩に変化して再びダキニ天に戻る様子を観想するのです。これがうまく行けば、ダキニ天はいつもその人に財産や福徳をもたらしてくれるとされます。
このダキニ天は平安時代末期〜室町時代頃から狐の精と考えられるようになり、そこから稲荷と結び付いたようです。剣と宝珠を持ち白狐にまたがった姿で、三面二臂の像や、天女の姿の像などが作られています。
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