祇園祭 |
■ 祇園祭とは? |
古くは平安時代に疫病・災厄の除去を祈った祇園御霊会を始まりとする、八坂神社の祭礼です。
京都の夏の風物詩で1ヶ月にわたり様々な神事・行事が行われます。
祇園祭は京都で行われる八坂神社のお祭で大阪の天神祭や東京の神田祭とともに
日本三大祭の一つに挙げられています。
約1100年も続く長い歴史と、豪華絢爛の「山」や「鉾〔ほこ〕」、そして1ヶ月間にもわたる大規模な祭事である事で広く知られています。
毎年7月に行われ、日本全国、また世界中から毎年数10万人もの観光客が訪れるお祭りです。 |
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■ 祇園祭の起源 |
祇園祭の起源は平安時代初期(貞観11年、869年)にさかのぼります。
当時、京の都では疫病が流行し、大勢の死者をだしていました。
人々はその原因が恨みを現世に残して死んでいった人々の怨霊の祟りであると考えました。
そこで神仏に祈りをささげて祟りを鎮める事を目的に、市中を練り歩く「御霊会〔ごりょうえ〕」を行いました。
祇園祭はこの行事の一つで、「祇園御霊会」が始まりであると考えられています。
11世紀になると現在の祇園祭のシンボルである山鉾が登場しました。
やがて山鉾はその年ごとに流行した物を題材として、年々変化し、洗練されてゆき、南北朝時代にはますます華麗に、そして大規模になっていきました。
その後、応仁の乱が原因で祭が中断された時期もありましたが、足利時代には、再興され、応仁・文明の乱の後、京の都が焼け野原と化してふたたび中止されましたが大乱の約30年ほどあとの明応9年(1500)には、町の人々によって再興され
26基の山鉾が巡行したと伝えられています。
江戸時代初期頃には現在の祇園祭の様式に定着しました。 |
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■官祭から民衆の祭りへ |
この「祇園御霊会」は、疫病が流行した時のみ行われていましたが、970(天禄元)年より毎年行われるようになりました。
その後、時代が進むにつれて、この御霊会に民衆が積極的にかかわるようになり、徐々に祭りの要素が加えられてゆきます。
現在でも神輿渡御は祇園祭の最も重要な行事ですが、その神輿を盛り立てるために南北朝時代になると現在のような山鉾巡行が登場します。
その後祭りは町衆の力を背景に、加速度的に華美になっていきました。 |
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