■ 8月9日午前11時2分 |
それまでの長崎は歴史もある、多くの労力も集まる企業城下町でもありました。
1945年8月9日午前11時2分
次の瞬間、ピカ(閃光)と光ってドーン(爆風)という音が聞こえました。
約14万9千人の人が亡くなりました。 |
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広島・長崎の原爆による被害 |
■ 熱線による物的被害 |
爆心地近くでは熱線により、燃えるものが全てが火をふきました。
解けたガラスや、沸騰して泡立った瓦、焦げて黒くなった石などが激しさを物語っています。
爆心地から遠ざかるにつれて熱線は弱まっていましたが、それでも2キロメートル以内では、衣類、電柱、樹木などの表面が燃えたり焦げたりしていました。 |
■ 熱線による人的被害 |
熱線による高熱は人々の皮膚に浴びせられ、熱線のすさまじさは通常の火傷では考えられないほどの被害をもたらしました。
爆心地からの距離によって負傷の程度は異なりますが、重症になると皮膚が焼け爛れ、剥がれ落ち、皮膚の下にある組織や骨までが見えていました。
1・2キロメートル以内では熱線だけでも致命的で、爆心地付近では高熱によって一瞬で体が炭化して、内臓の水分まで蒸発しました。 |
■ 火災による被害 |
熱線と爆風による被害は、火災によってもっと大きくなりました。
爆風の被害が家屋の半分で済んだところも、後に起きた火災の影響で全焼してしまいました。
全焼壊家屋は12,900戸、半焼壊家屋は5,509戸にのぼります。
火災による犠牲者も多く出ました。
倒れた家屋の下敷きになっていたとしても、火災が起きなければ助かった人は多かったはずです。 |
■ 爆風による被害 |
爆心地より1キロメートル以内のところでは、一般家屋は原型をとどめていないほどに破壊されました。
鉄筋コンクリートの建物などが少し残りましたが、どれも建物とは言いがたいほどに無残な状態でした。
このようなすさまじい爆風に人々は吹き飛ばされて、散弾のような沢山のガラスや木片を全身に浴びることになりました。 |
■ 放射線による人体への被害 |
原爆の放射線は人体を通り、そのとき色んな細胞を壊していきます。
損傷の程度は被爆した量により異なりますが、爆心地から1キロメートル以内で被爆した人のうち、外傷がなくても多くの人が亡くなっています。
放射線の破壊力はそれほど強いものでした。
人体に及ぼす害は爆発の時だけではなく、放射線は体の奥を傷つけて、時間とともにいろいろな症状を引き起こします。 |
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