梯子乗り |
■ 梯子乗りとは |
梯子乗り(はしごのり)は伝統芸能の一つで、真っ直ぐに立てた梯子の上で曲芸を行うこと。
江戸時代の町火消の伝統をいまに伝えるものとして出初式では地元の鳶工業会の有志のみなさんが演技をされる場合が多いようです。
青竹で組んだ梯子は、三間三尺(約6メートル)の青竹に、14段の小骨(はしごの桟)を付けたものをみんさんの手作りで作るそうです。このはしごをは仲間12人の鳶口で支え、その上で演技を実施します。 |
■ 江戸火消しの梯子乗り |
梯子乗りは、江戸時代中期に組織された江戸の町火消しの中で形成され、明治以降に整備・確立された技です。現在も鳶(とび)職人などによって伝承され、消防出初式などで公開されています。江戸火消しの梯子乗りは、江戸・東京の風物詩として都民が身近に捉えている伝統的な技であり、江戸・東京に根付いた文化です。
消防出初式は消防団が新年最初に行う演習の儀式で仕事始めと一連のものですが、東京では1月6日に行われます。日本の消防組織は、江戸幕府が大名火消、旗本火消(定火消(ジヨウビケシ))を設置したのが始まりだとされていて、その組織が整ったのは万治元年(1658)。享保3年(1718)町奉行令によって町火消を設けましたが成果があがらず、20年改組し、いろは四十七組(のち四十八組)が発足しました。出初式は町火消の初出(ハツデ)行事で、「いろは四十八組」の江戸町火消は、それぞれの纏を奉持して町を練り歩き、梯子)乗りの妙技を披露しました。 |
■ なぜ梯子技や歌なのか |
江戸時代の消火活動は、水を使うのではなく、延焼を防ぐために周囲の家を取り壊す「破壊消火」が中心。
そのため、町火消は鳶職出身者が多かったのです。
もともと、鳶ははしごを使って作業を行う仕事。
高所での危険な作業に求められるのは、機敏さ、慎重さ、勇敢さであり、それは火消の仕事も同じこと。
そんな理由から、町火消が消火活動のためにはしごを取り入れ、出初式でもその技を披露するようになったのです。
現代の出初式はしご技を披露しているのも、鳶職の人たちです。
一方「木遣」は、本来大勢で作業するとき力を合わせるために歌うもので、鳶職人が仕事中に歌っていました。
そのため、木遣も自然と町火消の中に溶け込み、受け継がれていったよう。
消火時には、サイレンの代わりにもなったと考えられています。 |
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