出初式 出初式の情報が盛りだくさん!
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出初式とは
■ 出初式
 起源
■ 出初の歴史
梯子乗り
■ 梯子乗りとは
■ 江戸火消しの梯子乗り
■ なぜ梯子技や歌なのか
梯子乗り 〜技編〜
■ 仲見世を行く
■ 一本遠見(イッポンドウミ) 
■ 中断技
■ 藤下がり
■ 一本邯鄲(イッポンカンタン)
■ 背亀(セガメ)
木遣り歌
■ 木遣り歌とは
■ 江戸木遣り
1月6日の他の行事や出来事
■ 色の日
■ ケーキの日
■ 佐久鯉誕生の日
■ 六日年越し
出初式とは
 ■ 出初式
出初式(でぞめしき、出初め式)とは、日本の消防関係者により1月初旬に行われる、仕事始めの行事のことです。消防出初式(しょうぼうでぞめしき、消防出初め式)とも呼ばれます。新春恒例行事の一つであり、「出初式」は新年の季語となっています。

同種のものとして、警察の「年頭出動訓練」(警視庁では「年頭部隊出動訓練」)があります。
 ■ 起源
出初式の起源は江戸時代の火消による出初(でぞめ)・初出(はつで)であり、現代では消防吏員、消防団員などの消防関係者によって行われます。主催については、各市町村ごとや消防組合(一部事務組合)ごとなど地域によってさまざまです。江戸時代から明治時代にかけては1月4日に行われていましたが、現代では1月6日の開催が恒例になっています。

出初式では一斉放水・避難救助などの消防演習、梯子乗り・木遣り歌など伝統技能の披露、消防団・消防車のパレード、消防職員・消防団員・消防功労者に対する表彰などが行われ、そのほか地域によってさまざまな行事が行われています。
 ■ 出初の歴史
万治2年(1659)1月4日(6日という説もあります)、上野東照宮の徳川家康廟前で、はしご乗りが行われました。
これが出初め式の始まりと云われています。

出初め式は、日本の消防関係者により、1月初旬に行われる仕事始めの行事です。新春恒例行事の1つであり「出初め式」は新年の季語にもなっています。
江戸時代の江戸では、火事が頻発したため、江戸幕府によって消防組織である「火消し」が制度化されました。最初に武士による火消(武家火消)が作られ、寛永20年(1643)、大名に課役として消防を命じた大名火消が制度化されました。しかし、明暦3年(1657)に発生した“明暦の大火”では火勢を食い止めることができず、江戸城天守閣を含む江戸の大半が焼失、3万人から10万人推計される犠牲者を出し、江戸の歴史上最大の被害となりました。

そのため明暦の大火翌年の万治元年(1658)、幕府直轄の新たな消防組織として「定火消」が制度化され、4000石以上の旗本から4名が選ばれ、臥煙(ガエン)と呼ばれる火消人足と共に火消屋敷(消防署の原型)に居住し、消防活動を担当するようになりました。

翌万治2年1月4日、老中・稲葉正則に率いられた定火消4組が上野東照宮に集結し気勢を挙げたのです。この行動が「出初め」と呼ばれ、明暦の大火後の復旧作業に苦しんでいた江戸の住民に対し、大きな希望と信頼を与えました。
月刊消防
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梯子乗り
 ■ 梯子乗りとは
梯子乗り(はしごのり)は伝統芸能の一つで、真っ直ぐに立てた梯子の上で曲芸を行うこと。
江戸時代の町火消の伝統をいまに伝えるものとして出初式では地元の鳶工業会の有志のみなさんが演技をされる場合が多いようです。
青竹で組んだ梯子は、三間三尺(約6メートル)の青竹に、14段の小骨(はしごの桟)を付けたものをみんさんの手作りで作るそうです。このはしごをは仲間12人の鳶口で支え、その上で演技を実施します。
 ■ 江戸火消しの梯子乗り
梯子乗りは、江戸時代中期に組織された江戸の町火消しの中で形成され、明治以降に整備・確立された技です。現在も鳶(とび)職人などによって伝承され、消防出初式などで公開されています。江戸火消しの梯子乗りは、江戸・東京の風物詩として都民が身近に捉えている伝統的な技であり、江戸・東京に根付いた文化です。
消防出初式は消防団が新年最初に行う演習の儀式で仕事始めと一連のものですが、東京では1月6日に行われます。日本の消防組織は、江戸幕府が大名火消、旗本火消(定火消(ジヨウビケシ))を設置したのが始まりだとされていて、その組織が整ったのは万治元年(1658)。享保3年(1718)町奉行令によって町火消を設けましたが成果があがらず、20年改組し、いろは四十七組(のち四十八組)が発足しました。出初式は町火消の初出(ハツデ)行事で、「いろは四十八組」の江戸町火消は、それぞれの纏を奉持して町を練り歩き、梯子)乗りの妙技を披露しました。
 ■ なぜ梯子技や歌なのか
江戸時代の消火活動は、水を使うのではなく、延焼を防ぐために周囲の家を取り壊す「破壊消火」が中心。
そのため、町火消は鳶職出身者が多かったのです。
もともと、鳶ははしごを使って作業を行う仕事。
高所での危険な作業に求められるのは、機敏さ、慎重さ、勇敢さであり、それは火消の仕事も同じこと。
そんな理由から、町火消が消火活動のためにはしごを取り入れ、出初式でもその技を披露するようになったのです。
現代の出初式はしご技を披露しているのも、鳶職の人たちです。
一方「木遣」は、本来大勢で作業するとき力を合わせるために歌うもので、鳶職人が仕事中に歌っていました。
そのため、木遣も自然と町火消の中に溶け込み、受け継がれていったよう。
消火時には、サイレンの代わりにもなったと考えられています。
はしご 足場 踏み台 はしご車 消火器
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梯子乗り 〜技編〜
 ■ 仲見世を行く
雷門での演技を終えた一行は混雑の激しい仲見世通りを、梯子、鳶、マトイの順に勇ましく練って歩きます。
仲見世 浅草 ガイド 雷門 東京下町
 ■ 一本遠見(イッポンドウミ) 
梯子乗りの始まりとなった技。身動きできない程満員の観衆からはヤンヤ・ヤンヤの拍手を貰う。
 ■ 中断技
足首をワッカ(金引カナビキ 猿輪エテワ)で固定しているので見た目ほど危険では無い技。
 ■ 藤下がり 
遠見 鉄砲溜め 二本背亀などからの返し技 。
 ■ 一本邯鄲(イッポンカンタン)
横から見てカタカナのイの字になるような技。返し技肝潰し館返し。
 ■ 背亀(セガメ)
一本の灰吹きに背中を乗せ亀が逆さになった格好の技 返し技肝潰し。
はしごしゃ 梯子
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木遣り歌
 ■ 木遣り歌とは
大木などを運び出すときの掛け声や音頭取りの歌が起源になったとも言われている木遣り歌は、江戸時代中期、粋な鳶職の間で盛んに歌われていました。元来建築そのものが慶事であったことから、おめでたい歌とされてきました。やがて町火消しが誕生したとき、その中心となったのが鳶職の人たちであったため、木遣りは町火消しに伝承され、それが以後の組織の変遷につれて受け継がれました。現在は消防組織から離れています。
 ■ 江戸木遣り
「木遣り」にも土地土地で色々なものがあります。

  基本的に「江戸木遣り」などは、
  〔兄:アニぃ〕と呼ばれる先導役と
  〔弟:オト〕と呼ばれる受け側に分けられます。


  〔 兄 〕が、掛けて〔 弟 〕が受け返す。
  そんなやりとりが、ずっと繰り返されているのが「木遣り唄」です。


  その「江戸木遣り」の唄いだしは必ず「真鶴」という唄から始まります。


〔 兄 〕 よ〜〜〜お〜〜ん〜やりよ〜ぉ〜
〔 弟 〕 え〜〜ぇぇょお〜ぉ〜ぉ〜
        
  こんな掛け声なんですが直訳すると、

〔 兄 〕 よーーーし いくぞぉ〜〜〜!
〔 弟 〕 いーーよ! よーーしっ!

となるそうです。
粋でいなせな江戸の木遣りは
「アニイの鶴の一声」から始まるのでした。
江戸 歴史
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1月6日の他の行事や出来
 ■ 色の日
「い(1)ろ(6)」の語呂合せ。色に関係する職業の人の記念日。
色えんぴつ 本 色鉛筆 クレヨン
 ■ ケーキの日
1879(明治12)年、上野の風月堂が日本初のケーキの宣伝をした。
パンケーキ ケーキ ミックス ケーキ 本 お菓子 カップケーキ
 ■ 佐久鯉誕生の日
1746(延享3)年、信州佐久の篠澤佐吾衛門包道が伊勢神宮の神主に鯉料理を献上した日。この記録が「佐久鯉」の最古の記録とされている。包道の子孫である篠澤明剛さんが制定。
誕生日占い 誕生日 ペーパークラフト 誕生日 365日
 ■ 六日年越し
正月七日を「七日正月」といい、その前日を年越しとして祝う。
年越し お正月 おせち 元旦
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